「この辺りは室町から江戸にかけてご城下だったんです。
ちょうどあの辺りにね、お城があったそうで」
女性が指さす先には、まだブルーシートに覆われた堤防が見えた。
その数百メートル上流に、かつて長沼城という城が存在したという。
あの会話を交わした日から間もなく2年が経とうとしている。
【修復中の千曲川堤防(決壊地点)/2019年12月撮影】
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長沼(ながぬま)と呼ばれる長野市北東部の一帯は
大町・穂保・津野・赤沼の4つの地区から成る。
昭和20年代までこの地にあった長沼村(当時)の呼称でもある。
田畑が広がる一帯はリンゴの名産地として知られるが、
ご城下だった頃は同時に松代藩(現・長野市松代町)と
越後(新潟)方面を結ぶ宿場町として栄えた歴史ももつ。
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「立派な蔵や大きなお屋敷が残ってるでしょう。
もちろん昭和以降のものもありますが、中には宿場当時から
現存してる建物だってあるはずなんです」
長沼の歴史を研究し続ける地元の女性は、日常生活と一緒に
歴史の一端が流されてしまったことを悔しそうに話した。
【氾濫の水圧で倒された石仏/2019年12月・長野市穂保で】
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水害が流し去ったものは、目に見えるものばかりではない。
そんな当たり前のことが、お城の話を思い出すたびによみがえる。
あの日から、きのうで2年が過ぎた。