久しぶりに照り付ける太陽に少し汗ばみながら、
衆議院選挙初日の候補者演説を聞きに東信・上田市へ。
木陰で日差しを避けつつ第一声を聴く人もいれば、
陽のあたる場所でじっと動かず聴き入る人も。
【写真=上田駅お城口広場の聴衆/きょう午前】
✤
「秋」と書いて「とき」という読み方があるのを、
いつだったかあの『三国志』を読んでいる中で知りました。
「危急存亡の秋=ききゅうそんぼうのとき」という表現は
国が存続できるか否かという瀬戸際を示す場合に使われ、
ここで「秋」という文字を「とき」と読んでいました。
【写真=紅葉する木々と選挙ポスター掲示板/長野市城山公園】
✤
一方で、秋は実りの時季でもあるため「収穫・成熟」の意味をこめて
来たるべき「とき」がきた=「秋」と表記するのだという説も。
この国の存亡を左右する選挙だとすれば、まさに「秋=とき」。
でも、有権者が選択するための政策や議論が十分になされているかと
問うてみれば、熟する「秋=とき」にはまだ遠いような気もします。
12日間の選挙戦でいろんなものがしっかり熟して欲しいのですが。