発端は、報道番組を取り仕切るTプロデューサー(以下P氏)との会話だった。
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P氏「テレビは若手にまかせて、秀一さんはネットでやりましょう」
伊東「YouTubeで選挙特番かぁ。春の参院補選でやったのと同じだね」
P氏「そうです、でももっとやわらかくていいと思うんです。例えば・・・
元ニュースキャスターの2人がちょっと‟くたびれた感"を出しつつ
番組を進行するっていうのはどうです?」
伊東「ええ~、くたびれてなきゃイケナイの?」
P氏「そう!ニュースを引退した悲哀が漂うみたいな」
伊東「・・・(一応まだ現役の解説オジサンなんだけど)・・・」
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可哀そうに私の相方に白羽の矢が立ったのは、かつてニュースでコンビを組んだ
藤原里瑛アナウンサーである。先日、そのYouTube特番用のPR撮影に臨んだ。
私はその‟くたびれ感"を演出しようと、ちょっと無精髭を伸ばしてみた。
(写真=齋藤沙弥香アナ撮影)

伊東「どう、少しはくたびれて見える?」
P氏「おお、いいじゃないですか(少し間があって)。
でも秀一さん、マスクして撮影するんですけど」
私はしばし絶句した。5日間剃らずに頑張ったんだけどな。
そんなこんなで髭面でのPR出演はお蔵入りとなった。
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でもって『元ニュースキャスターのぼやき』と題したPR動画が
週明け25日以降、テレビ信州公式YouTubeチャンネルにお目見え。
当初ちょっぴりへこんでいた藤原アナが、実は意外とノリノリで。
来週、ちょっとお立ち寄り下さい♪
久しぶりに照り付ける太陽に少し汗ばみながら、
衆議院選挙初日の候補者演説を聞きに東信・上田市へ。
木陰で日差しを避けつつ第一声を聴く人もいれば、
陽のあたる場所でじっと動かず聴き入る人も。

【写真=上田駅お城口広場の聴衆/きょう午前】
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「秋」と書いて「とき」という読み方があるのを、
いつだったかあの『三国志』を読んでいる中で知りました。
「危急存亡の秋=ききゅうそんぼうのとき」という表現は
国が存続できるか否かという瀬戸際を示す場合に使われ、
ここで「秋」という文字を「とき」と読んでいました。

【写真=紅葉する木々と選挙ポスター掲示板/長野市城山公園】
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一方で、秋は実りの時季でもあるため「収穫・成熟」の意味をこめて
来たるべき「とき」がきた=「秋」と表記するのだという説も。
この国の存亡を左右する選挙だとすれば、まさに「秋=とき」。
でも、有権者が選択するための政策や議論が十分になされているかと
問うてみれば、熟する「秋=とき」にはまだ遠いような気もします。
12日間の選挙戦でいろんなものがしっかり熟して欲しいのですが。
「この辺りは室町から江戸にかけてご城下だったんです。
ちょうどあの辺りにね、お城があったそうで」
女性が指さす先には、まだブルーシートに覆われた堤防が見えた。
その数百メートル上流に、かつて長沼城という城が存在したという。
あの会話を交わした日から間もなく2年が経とうとしている。

【修復中の千曲川堤防(決壊地点)/2019年12月撮影】
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長沼(ながぬま)と呼ばれる長野市北東部の一帯は
大町・穂保・津野・赤沼の4つの地区から成る。
昭和20年代までこの地にあった長沼村(当時)の呼称でもある。
田畑が広がる一帯はリンゴの名産地として知られるが、
ご城下だった頃は同時に松代藩(現・長野市松代町)と
越後(新潟)方面を結ぶ宿場町として栄えた歴史ももつ。
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「立派な蔵や大きなお屋敷が残ってるでしょう。
もちろん昭和以降のものもありますが、中には宿場当時から
現存してる建物だってあるはずなんです」
長沼の歴史を研究し続ける地元の女性は、日常生活と一緒に
歴史の一端が流されてしまったことを悔しそうに話した。

【氾濫の水圧で倒された石仏/2019年12月・長野市穂保で】
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水害が流し去ったものは、目に見えるものばかりではない。
そんな当たり前のことが、お城の話を思い出すたびによみがえる。
あの日から、きのうで2年が過ぎた。
各地に出されていた緊急事態宣言、蔓延防止重点措置が
全て解除されて1週間余り。
土曜日曜の観光地は県外ナンバーの車両が増えたと聞く。
日が落ちた頃、いくつかの宿泊施設を遠目で眺めてみると、
部屋の明かりはひとつも点いていない。

【長野市・城山公園から見た夕暮れの長野市街地】
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ほんの何週間か前、その建物はほぼ全ての窓明かりが灯っていた。
新型コロナ感染者のいわゆる「宿泊療養施設」である。
県内の新規感染が158人と最多を記録したお盆明け前後、
煌々と灯る"満室"の明かりを見ながら気持ちが塞いだのを思い出す。
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県内のワクチン接種率(2回目)が70%に達したニュースを聞きつつ、
あの窓明かりが再び増える日が来ないことを願った。

去年の今頃はまだ通行止めだった国道が通れるようになっていた。
下を見下ろせば、崩れた護岸や流木、倒木が散乱し
川は形が変わるほど激しい流れに削られたことがわかる。
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千曲川上流に位置する南佐久郡佐久穂町をほぼ1年ぶりに訪ねた。
集落のある一帯では道路も護岸も復旧が終わり、
住民も元の平穏な生活を取り戻しつつあるように見える。
ただ、山沿いに一歩踏み入れば、手付かずの箇所が目につく。
600人余りが暮らす大日向(おおひなた)は戦後の開拓集落。
穏やかな抜井川(ぬくいがわ)に沿って東西の山間に拡がっている。
その穏やかな流れが牙をむいたのが2年前のあの日だった。
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「この時季になると2年前を思い出しちゃうんです」
「また同じ災害が来たら、もうここには戻れないかな」(住民)
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この2年で何が変わり、何が変わっていないのか。
川とともにある大日向からの報告は、あすの「news every.」で。

【通れるのは県境の十石峠まで。柵の向こうは群馬県上野村】