
朝夕、毎日その巨木の下を通りながら、
存在を意識し始めたのはごく最近のことだ。
TSB局舎の前の交差点脇に立つヒマラヤ杉。
テレビ塔とまではいかないが、3階建ての局舎は優に上回る。
酷暑の昼間、木陰に入ると不思議と暑さを感じない。
他の日陰よりも涼しく感じるのは気のせいか。

TSB開局前、ここは県農業試験場と農業大学校の北門があった。
古い資料によると、ここに農業試験場が移転したのは大正10年。
当時から立っていたとすれば、ヒマラヤスギは
あの戦争も見てきたということになる。
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昼間、自転車を漕ぎながら汗だくになって樹下に入り、
ほっと一息ついて巨大な幹を見上げてみる。
ヒマラヤスギは、独り黙って立っていた。
きょう8月15日、80年目の終戦の日。
終戦間際、日本軍は「回天」という兵器を造った。
長さ14m余り、直径わずか1mの鉄の筒に
人間が乗り込み敵艦に体当たりする、いわば「人間魚雷」。
その出撃基地があった山口県周南市を訪ねた。
この町で生まれ育った戦没画学生のご遺族に会うためだ。

「今、芸大に入ると親子で乾杯してるけど、あの当時
美術の道に進むなんて‟非国民"だったんです」
こう語るのは、戦没画学生慰霊美術館「無言館」(上田市)の
共同館主である窪島誠一郎さん。

その窪島さんに画学生だった兄の遺作の一部を託し、
同時に他の絵を80年以上も守ってきたのが原田茂さん(87)だ。
取材中、会場に並んだ兄の絵を前に目を細めた。
「こんなに嬉しいことはないです」

窪島さんは講演の中で、テレビや新聞の紋切り型の戦争報道にも
厳しい言葉を向けた。
「反戦平和、無念の涙。あの四文字言葉やめてほしい。
そんな(気持ちで描かれた)絵は一枚もない。
彼らは、自分を絵の道に送り出してくれた家族に
ありがとうの気持をこめて描いている」
「ごく身近な人を愛しきった、絵はその証し」
✤
力強い言葉に、350人が埋めた会場からは嗚咽が漏れる。
カメラの横に立つ私も、思わず目頭が熱くなった。
✤
画学生の絵が伝える家族、故郷、あの時代のこと。
ご遺族の言葉、窪島氏の言葉の中から見えてくるもの。
あす15日の「ゆうがたGet!every.」(午後6:15~)でお伝えする。
番組開始まで残り40分となった午後5時半すぎ。
広島からの中継回線にはリハーサル中の小椿希美アナの姿が。

「ゆうがたGet!every.」今夜6時台の県内ニュースでは
小椿アナの大叔母にあたる88歳の女性が登場する。
8歳の頃、当時住んでいた広島市郊外で被爆したが
その体験を誰にも語ってこなかったという。
「のんちゃん(小椿アナ)の取材なら話してもいい」
そう仰って下さったのが、この特集のきっかけだった。

小椿アナも初めて聞いたという親族の被爆体験。
被爆者、戦争経験者が年々少なくなる中、
「のんちゃん」を介して語って下さった貴重な体験、
今夜とあす「ゆうがたGet!every.」で連続でお伝えする。
★6日放送=午後6時15分~
★7日放送=午後3時50分~(予定)

午後2時、学食で遅めの昼をとっていてふと気付く。
いつもの同時刻に比べて随分と賑やかである。
教科書を広げて「あーでもないこーでもない」と議論する集団。
パソコンを開いて真剣な眼差しでキーボードを叩きつつ
魚のタルタル定食をほおばる女の子。
そうか、学内は期末テストの期間である。

信州大学で受け持つ私の前期講義15週が終わった。
かくいう私も、間もなく教え子たちのレポート添削を始める時期。
斜め向かいの席では、ジャージ姿の男の子が今どき少なくなった
紙のノートとペンを手に、外の深緑をぼんやりと眺めている。
頑張れ大学生!ここを乗り切れば夏休みだぞ☼

梅雨入り翌日の報道フロアをTシャツ姿で軽快に動き回り、
ニュースの準備に余念がない寺澤達哉キャスター。
実は彼、心の内はかなりソワソワしている(はずである)。
何を隠そう、今夜放送の日テレ系全国ネット
「千鳥かまいたちゴールデンアワー 全国アナ41名大集合」
(午後7時~)に出演するのである。自称「日本一?おしゃれなアナ」
として仕事場から自宅の中まで取材カメラが入り込む事態に!
先日のロケ風景を遠目にチラっと見た私には、
インタビューされる彼の少々ぎこちない笑顔が印象に残った。

番組放送まで4時間半。きょうの彼はどことなく無口である。
しかも、当の「千鳥かまいたち......」直前の県内ニュースは
寺澤キャスター本人が生出演しているという豪華?二本立て構成!
その「日本一なおしゃれ」(あくまで自称です、念のため)を
今夜はとくとお楽しみ下さいませ♬