私自身、この現場からの中継は6年振り。
実行犯らの死刑が執行された2018年の夏以来だった。
30年の節目を機に地元町会が初めて設けた献花台が
児童公園の藤棚の下にあった。
8人が亡くなり、600人以上の重軽症者を出した松本サリン事件。
うち1人が犠牲になった生命保険会社の寮跡地に、公園はある。
「語り継がねば」という人もいれば、
「忘れたい。そっとしておいて欲しい」という人もいる。
取材に応えた町会関係者が地元の声を代弁して下さった。
ひと言では括れない30年の重さと長さが、
その言葉に籠められていたように思う。
節目の日から2日後の29日(土)、私たちは55分間の生番組で
事件の30年を振り返り、これからの課題を探った。
当時、第一発見者に疑いの目を向けたメディアの体質は
根っこの部分では変わっていないのでは、という問い。
オウムは名前を変えて今なお存続しているという事実。
微力ながら大学の教壇にも立つわが役目を俯瞰し、
現代の若者たちが30年前と同じ轍を踏まないよう、
カルトに近づかぬために何をどう伝えたらよいか。
歳月を超えて今なお続く「現在進行形」の問いである、
と私は思っている。